小学校の頃から運動が好きで特に走るのが大好きでした。
生徒数の少ない中学校だったので部活の数も限られ野球部、卓球部、剣道部の中から野球部を選びました。
3年生の時にたまたま学年で1500mが2番になったのがきっかけで、市の陸上競技大会に初めて参加しました。
高校進学を考えていたころ、高校駅伝に力を入れ始めた学校からお誘いをいただいて入学することになりました。
父が小学1年生の時に亡くなり、母子家庭だった私にとってはとても有難いお誘いでした。
幸運なことに3年連続で県の代表となり、全国高校駅伝競技大会で京都の街を走る機会を得ました。
高校卒業後の進路を決める際に母子家庭で育った私は、これ以上母に経済的負担をかけたくありませんでした。
しかし、学生時代に夢中なった駅伝競技を続けたいという夢もありました。
そんな時、自衛隊に入隊すれば駅伝競技を続けられ安定した生活を得られることを知り入隊しました。
それから35年間自衛隊生活を続けていく中で様々な体験をしました。
特に東日本大震災の人命救助活動で地域の皆様から感謝されることに自分自身思いがけないほどの喜びを感じました。
それまで淡々と訓練を消化するやりがいのない日々が、人の役にたつ事が自分にとってやりがいのある、とても幸せなことだと気付きました。
定年5年前になり思い出したのがハードな訓練で足底筋膜を痛めてしまい激痛に見舞われた時のことです。
あらゆる治療院を尋ねましたが一向に痛みは良くなりませんでした。
しかし、ある治療院で施術を受けたところ1度で痛みが劇的に軽減しました。
その時の感動は言葉に言い表せない程でした。
定年後は私も1回の施術で人々に感動を与えられるような治療家になりたいと思うようになりました。
自衛隊時代より治療家になるべく週末を利用して技術を学びました。
約2年間の学びを終えると同時に自衛隊の定年を迎えました。
自衛隊の定年は早く54歳です。
約半年間の準備期間を経て念願の治療院を開業しました。
開業して1年かかりお客様が通ってくださるようになりました。
そんなある日、口コミの評価を見て股関節の痛みで苦しんでいる高齢の母親を心配した息子さんがご予約をしてくれました。
痛みの軽減と歩行の改善をすると意気込みましたが若干、当初よりは痛みの軽減はできたものの、大きな改善はできませんでした。
それまで肩こりで多くの方に喜んでいただいて多少、治療家として自信がついていたところに、息子さんのがっかりされた顔が今でも頭の中に残っています。
施術もですが納得してもらえる説明ができなかった自分の力のなさに情けなくなりました。
2度と情けない想いをしたくないと、技術面だけでなく根本原因を理論的にわかりやすく説明ができ、根本改善ができるものはないかと探していたところ、お客様であるヨガの先生に教えてもらったのが「ゆるかかと歩き」でした。
ヨガの先生から話を聞いて自分が求めていたものは、これかも?と思いすぐに、ゆるかかと歩きインストラクター講座の申し込みをしました。
インストラクター講座でゆるかかと歩き開発者である中島先生の
「人は本来、自然治癒力があり治そうとしているのに治ること以上に悪いことをしている」
「それは、間違った歩き方をしている生活習慣が原因」
「間違った生活習慣の歩き方を改善すれば肩こり、腰痛、外反母趾、股関節の痛みも改善できる」
とその言葉に衝撃を受けたのと同時に話が腑に落ちました。
そして、このゆるかかと歩きが世の中に広がれば本当の根本改善ができ、痛みで苦しむ人が減るのではと思い治療家から指導家を目指し、今は体の使い方(生活習慣)の改善指導に取り組んでいます。